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zoom RSS ◇ 幸手の大地主・・明治の「埼玉県各郡大地主名簿」より

<<   作成日時 : 2004/10/22 15:26   >>

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 1896年(明治29年)の「埼玉県各郡大地主名簿」即ち地租金250円以上を納めるもの総計297名の内、現在の幸手で当てはまるのは以下の人と思われる。

 桜田村・奈良治郎兵永衛   行幸村・遠藤*吉   幸手町・秋間礼左   幸手町・岸本浪太郎   上高野村・江森角三郎   権現堂川村・石塚清十郎   吉田村・金沢藤五郎  八代村・新井丘祐    八代村・知久又四郎   八代村・新井愛太郎 以上

 当時の明治政府は殖産興業と草創期における巨額の財政経費のため相当巨大な資金が必要であった。政府は不換紙幣や多額の公債を発行して急激なインフレーションを引き起こし、1880年(明治13年)には松方正義による不換紙幣の整理で厳しいデフレーションに移り、農民からの土地の収奪が推し進められた。
 その間、1872年の地租改正条例で地租が一挙に「金納」とされ、米価が決定的な影響を持つものとなり、農民は米価の下落により土地を喪失し小作農になった時代である。急激なインフレーションで士族からは金禄公債を取り上げ、デフレーションで農民から土地を取り上げたのである。明治29年というと、それらの残酷な原始的蓄積がほぼ終わり日清戦争も終了した頃のことである。

 1923年(大正12年)「埼玉県50町歩以上大地主名簿」に記載された幸手の地主は以下の通り。
 幸手町・秋間礼左  吉田村・金沢利三郎  桜田村・奈良栄治郎  八代村・新井新太郎、以上であるが、大正14年の多額納税者名簿にはここに記載されなかった知久、内田、江森氏の名もみえる。
 第一次世界大戦後の農業の発達も1920年(大正9年)に始まる戦後恐慌で生糸、繭、米価は暴落し、農民に大きな打撃をあたえ、その結果2町歩経営規模の中農化傾向が生じた。 
 嵐のような厳しい環境の中でも、幸手の大地主は経営を維持し栄華を誇ったが、第二次大戦後の農地改革で壊滅的な打撃を被るのである。しかしながら、現在その家を概観するとやはりそれなりの風格を持って幸手に存在しておりその経営能力の見事さには脱帽する。
 なお、ここに引用した史料は全て公の書籍で公表されているものであり当事者の権利の侵害にはならない。
 

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